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2014/04/18

あの子たちは私の顔と足元、どちらを見ていたのか?♪Biber/Requiem

Biberrequiem  JR北海道の車内誌、その名もそのまんま“The JR Hokkaido”。

 ここに連載されている小檜山博のエッセイ“人生讃歌”のい4月号は「犬を飼う(下)」。

 内容を要約すると、

 長年にわたり飼っていた愛犬が老衰で死んだ。ぼくは泣いた。

 ってものだ。

 私も小学校6年生のときに犬を飼いはじめた。
 迷い犬と思われる子犬を飼うことにしたのだ。

 雑種だが、舌にはアイヌ犬特有の黒い斑点があった。

 飼い始めてすぐのころ、狂犬病の予防接種を打ちに行った。場所は近くの中学校のグラウンド横の空き地。その後北浜内科が建った場所だ。すでに“家具の山の手”はあった。ローカルな話題ですまん。

 お注射しにそこに行くと、空き地のはじのほうで、女子中学生らしき2人がこちらをちらっと見てはひそひそと立ち話している。問題は2人ともなかなかかわいかったことだ。

 この犬は迷いこんで来た犬だ。それを捨て犬と勝手に判断してウチで飼うことにしたのだが、もしかするとどこかで飼われていた犬だったのかもしれない。

 そして、「あれって、ウチで飼っていた子じゃない?」って話してるのではないか?
 
P4100031  そう思うと私は、あの子たちが騒ぎたてる前に、予防注射を打って欲しい衝動にかられた。あの子たちに。子犬盗難罪で逮捕されるのはいやだ。

 もし何か言って来たら、「お、お姉さん!ボクと文通してください」と口にしたい衝動を抑え、ここは毅然と「この犬は私の母が産んだのです」と言い通そう。
 そう心に決めた。

 が、彼女たちは何も言って来なかった。
 私なりにそのあと考えた。
 あれは犬を見ていたのではないという結論に達した。

 「ねぇ、あの子犬を連れている男の子、なかなかイカスと思わない?」

 そういう話をひそひそしていたのだ。きっと。
 それ以外考えられない。
 でも、そのあと何年待っても、「私と文通してください」とあの子(どっちか1人でいいのに)からのペンパル申込み書は届かなかった。あのとき私を尾行してくれれば、家がわかっただろうに……

 さて、この犬はなかなか従順でそこそこ間抜けなところがあってかわいかった。
 いくら洗ってあげても毛に艶はなく、ややゴワゴワしていた。
 キューティクル・シャンプーを使ってあげても変わらなかった。

 私の多感な時期を共にしたわけだが、一緒に過ごしたのは7年ほど。
 フィラリア症でもう治らないと言われた。だから、安楽死させた。

 ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber 1644-1704 ボヘミア)のレクイエム(Requiem)イ長調(ドックという名の作曲がいないのが、ここにきて残念に思う)。

 2人のソプラノ、アルト、テノール、2人のバスという6人の独唱と、合唱およびオーケストラによる15声のための作品。イントロイトゥス/キリエ/セクエンツィア/オッフェルトリウム/サンクトゥス/アニュス・デイ/コンムニオの全7楽章からなる。

 ヴァイオリン・ソナタで有名なビーバーは、2つのレクイエムを残している。1つはここで取り上げているイ長調のもの。もう1曲はへ短調のものである。

 レクイエム イ長調の作曲年ははっきりとわかっていない。
 しかし、ビーバーが仕えた大司教マクシミリアン・ガンドルフ(グンドルフ)の葬儀のために1687年に書かれたという説がある。 

 素朴な、でもけっこう元気な響きの音楽である。
 そのあとの時代の多くのドラマティックなレクイエムを知っている私たちにとっては、この純粋な響きに癒される。哀悼の意を込めてというよりも、曲調は大司教さまの生前の栄誉を讃えてって感じだ。

 何年の何月号だったか覚えていないが、“レコード芸術”誌の特集記事の中で、美山良夫氏は書いている。

 ビーバーが活躍していた時代のザルツブルク大聖堂の祝祭的な演奏空間、つまり聖堂の中心の丸天井をささえる4つの柱には、それぞれにオルガンつきの階廊がおかれ、また本来の聖歌隊席にもオルガンが設置されていた。大司教には80人もの音楽家が仕えており、そのような資源を活かした作品のひとつがこの15声の作品である。
 作品がどのような機会に書かれたのかは詳らかではない。大司教マクシミリアン・グンドルフの葬儀(1687年)という説もあるが、それにしてもイ長調という調性の選択、トランペットやティンパニが活躍し、技巧と色彩感の豊かな作品は、レクイエムの名を借りつつ大聖堂の音楽家のすばらしさを誇示する場であったのだろう。 


 コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団、同合唱団による演奏を。
 独唱は各声部とも2人の名が記載されている。
 ソプラノ~ボンヘルス,グリム
 アルト~ヴェッセル,ド・グロート
 テノール~レヤンス,デイヴィス
 バス~ストイア,ド・コーニング

 1992録音。エラート。
 これまた輝かしい、32声のための「晩歌(Vesperae)」がカップリング収録されている。

  ビーバー:レクイエム、晩課

 ビーバー・エアコンって今でもあるのかなぁ?

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2014/04/17

えっ、もう終わっちゃったの?♪クレンペラーのブルックナー/Sym8

20140415stokachi  さて、歯科医院に行った報告である。

 おととい、出張先の札幌からご覧の特急に乗った。乗る前にキヨスクでサザエのおにぎり弁当を買う。12時まで待ちきれず、新夕張で開封してしまった。そして、昼過ぎに帯広に到着。

 歯が脱落して半月。
 待ちに待ったというわけではなく、行かざるを得ない状況で、予約を入れていたこの地の歯科医院に行った。この間私が経験した焦燥感、孤独感、疎外感はすでに書いてきたとおりだ。

 その話の前に、南千歳と追分の間の沿線でこんな看板を見たが(いや、前からチェックしていたのだ)、まわりは草原、畑、見通しの良い雑木林。
 ほとんど人通りはないと思われるが、それなのにここ(隠れる場所もなさそうだ)で人を待ち構えるやつがいるらしい。変な奴だ。変な奴だから不審者、ひいては変態というのだが……
 
20140415fushinsya_2  あの話に戻る。
 私はこの20年間ほど、これまで通っていた札幌市中央区の歯科医院以外にかかったことがなかった。良く言えばなんと義理堅い、普通に言えばかなり保守的な、悪く言えば勇気のない人間だろう(先月末の釧路のケースは急患ゆえの例外中の例外である)。

 そんなわけで、私は素っ裸でいるクレンペラーの部屋を訪問するはめになった乙女のように緊張して、歯科医院のドアを開けた。緊張のあまり引くべきところを押してしまった。が、自動ドアだと勝手に思い込んで、そこにずっと立ち続けるよりはまだマシだっただろう。

 とにかく冠入り義歯(たぶんクラウンと呼ばれるものだと思う)が脱落したとき、私が鏡で見たその落石現場の跡は、まるで歯ぐきにごく小型のヒザラガイが3つ並んで貼りついているような感じだった。いのではなく、もう高さがないのだ。海抜0mまで平らに削ってあったのだ。
 そのヒザラガイ様の歯根がまだ使えるかどうかはかなり怪しい。様相がそれを物語っていた。釧路の歯科医師はそのように語ってはくれなかったが「けっこうきついかな」と言っていた。

 私が心を震撼させながら新患としてお世話になることになったここの歯科医師の見立て。

 ① レントゲンの結果では、はずれた冠の土台となっている歯の根には異常は見られないようだ。
 ② だが、応急処置をした歯科医の話を聞く分には、土台の歯がむし歯になりかけている可能性もある。
 ③ 応急処置で仮付けだったのか、がっちりとセメントで接着したのがわからないが、その後いまだにはずれてこないところをみると、がっちり型の可能性が高い。だとするとはずすのもけっこうな破壊行為となる。
 ④ それゆえ、まずは歯石をとって周辺の治安を維持してから本格的な治療に入る。それでいかがでしょうか?

というものだった。

 合意しました。「よろこんでぇ~!」と。

 で、今回はほかに口内の写真を数枚撮られ、上あご側の歯の歯石クリーニングをし、次回は早くも明日、また口を開けに行く。
 1週間に2回も診てもらえるなんて、そして通える自分がここにいるなんて、まるでウソのようだ。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87/改訂1889-90)。

 今日は名演と言われると同時に悪名も高いクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽Brucknerklempere 団の演奏。

 使用楽譜は1890年稿ノヴァーク第2版。
 この版を使用した演奏では、ショルティ/ウィーン・フィルによるものを私は昔からよく聴いているが、その流れ(慣れ)でクレンペラー盤を聴くと、第4楽章で自分がテレポーションした錯覚に陥る。

 クレンペラーはゆったりとしたテンポで音楽を進めて行く。が、間延びしたところはなったくない。遅さが長ったらしさにならならい。チェリビダッケの、すごいとは思うがそこまで遅くする必要があるの?という勝手な疑問も、クレンペラーでは生じない。
 がっちりとした骨組みがあり、壮大だなんて安易に言えないほど大きな大きな演奏。大地震に耐えうる強度の高い建造物のような外観。いくつ部屋があるのかわからないほどの奥深さ。心に浸み入る美しさ。重厚なのに鈍くない。

 そして第4楽章。
 この第4楽章では、聴くたびに新鮮に意表を突かれる。ここはからくり屋敷か?
 CDのピックアップが跳んだのか?はたまた数分間私は意識を失ったのか?と私はとまどう。
 ご存知の方も多いだろうが、この録音でクレンペラーは第4楽章で大胆なカットを施しているのである。それも1回ではない(第1~3楽章でも細かな手が加えられているのかもしれないが、私が違和感を覚えることはない。つまり気づかない)。そしてカットされているわけだから、第4楽章はすぐに終わってしまう。

 これが多くの人を戸惑わせてきた。「ここまですばらしかったのに、なんで最後の楽章でこんなことしてくれたの?」と。
 長い長いうっとりするような前戯。そのあとは「えぇっ?終わっちゃったの?もう?」と言われる速打ち君……

 クレンペラーはいろいろと考察した結果このようなカットに行きついたと語っているらしいが、その真偽のほどはよくわからない。本人談なんだから間違いないんだろうけど、一部には当時のLPに収めるためにそうしたのではないかという憶測もある。 
 なお、この録音についてはライムンドさんが詳しく書いている。

 第4楽章で大胆なカットがあるにも関わらず、CD1枚には収まっていない。遅いから。
 あなたはしつこい人は嫌いだろうけど、でも繰り返して言うが、長さを感じさせない。
 この作品で、聴き手にこれだけの集中力を起こさせるとは、やっぱりクレンペラーってただ者ではない。実際、私生活では不審者じゃなかったものの、別な意味ではただ者ではない変態チックおじさんだったようだし。

 改悪版だと非難する人を否定はしないし、このカットが作品に対する冒瀆であるという言い分もわかる。が、だからと言って聴かないでいるのはあまりにもったいない名演である。

 1970録音。ワーナー(EMI)。
 
  Bruckner: Symphony No.4-No.9<限定盤>

 なぜ歯医者の話にブル8なのか?
 歯、短……ハ短調ってことなのは、自明の理である。

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2014/04/16

サカリを耳にしながらサガリを口にする♪愛の喜び(p版)

Rachmaninovbolet  先週の金曜日、オーダレッドが出張でやって来た。

 すでに書いたように、こちらで仕事があり、私もそれに一枚かんでいるのである。
 さらに今回は、オーダレッドに加え、助っ人1人もやって来た。

 3人と私が先方で打ち合わせを終え、市内に戻ったときには19時を過ぎていた。腹ペコだった。胃の肉が自己消化されつつあった。
 ゆえに、失われたたんぱくを補うべく私たちは焼肉屋に行った。

 席に案内されると、すぐ横の窓の外から赤ん坊の泣き声が聞こえる。この焼肉店、古いという意味では由緒ある建物だ。水子の霊たちが騒いでいるのだろうか?「おいらもカルビ食べたいよぉ~」って。
 「なんか子供の声っていうか、泣き声が聞こえない?」と私。
 「いいえ、別に……」とアルフレッド。
 窓の前には大きなこけしが置いてあり、私は最初、てっきりこのこけしが泣いているのかと思った。それなら何となく合点がい……かない、いかない、全然いかない!
 私にしか聞こえてないのだろうか?
 と、オーダマンボが妙に真剣な顔で「確かに、何か聞こえますね……」と言った。
 もしこのとき急に停電になったら、私はアメリカのオカルト映画の女優のようにギャア~キャア~、ボブ、ヘルプ・ミィぃ~と絶叫したに違いない。

 注文を取りに来たお姉さんに、「なんか変な声してんだけど……」とたずねる。
 「あっ、猫です。盛ってるんです。交尾です。で、生4つですね?」と、なんの躊躇、羞恥もなく業務に専念しながら答えた。

 よかったぁ~、猫で。
 ってこともないが、とにかく騒がしかった。
 ジュージューという焼肉を焼く音が、しばしばウギャー、ギャァァァーオー、ウッフゥゥ~ン、アッハァァァ~ン、アッウウウッ!という叫び声にかき消されたのであった。

 にしても、あの声は求愛の声なのか、交尾で絶頂を迎えている声なのか、私にはわからない。
 でも、たいしたものだ。
 あれだけ恥も外聞もなく没頭できるのだから。

 私たちは、なぜ豚バラ肉は昔に比べこんなに高くなったのか?そうだ、豚トロと名づけたやつのせいだ。とか、鯨を食べるのは日本の食文化って言ってるけど、家で鯨を食べた記憶なんてもう消失してる、といった話をしながらサガリやロースやジンギスカンを焼き、カルビは体に悪そうだからと回避し、そのかわりにウインナーを頼み、盛りのついた猫の恋の叫びもだんだん気にならなくなったのだった。

 帰り際にあのあ姉さんが言った。まるで自分に責任があるかのように。「交尾の声でうるさくてすいません」。たいした姉ちゃんだ。いろんな意味で。もしかすると焼肉屋でバイト中の獣医師志望のリケジョだったのかもしれない。

 クライスラー(Fritz Kreisler 1875-1962 オーストリア→フランス→アメリカ)の「愛の喜び(Liebesfreud)」。ウィーンの古い民謡によるワルツ形式のヴァイオリン曲で、非常に有名である。

Rampaljapanese が、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)がピアノ独奏用に編曲したものは、原曲に比べるとかなり激しい。あの猫さんほどじゃないが、変な喜びを想像しちゃう。

 ボレットの演奏で。
 1987録音。デッカ。

 このCDに収められているピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18(1900頃-01)についても触れておく。デュトワの指揮、モントリオール交響楽団との共演である。

 デュトワのテンポの取り方がヘンだという声もあるようだが、私はそのことに違和感はない。それより何よりボレットの甘くなりすぎず、かといってテクニックを誇示するものでもないバランスの良い、そして瑞々しささえ感じる演奏が、私は実にすばらしいと思っている。
 こちらも1987録音。

  Rachmaninov: Piano Concertos No.2, No.3, Variations on a Theme of Chopin Op.22, etc

 ところで日本民謡(古謡)に「猫の嫁入り」ってのがある。
Samurachuushi ランパルがフルートで演奏しているCDを持っているが、私にはなじみのない曲だった。日本人としてなってない私である。
 1981録音。ソニークラシカル。

  日本の調べ

 このあいだの日曜日の夜。“Mr.サンデー スクープSP”って番組をやっていて、佐村河内氏のことが長時間にわたり取り上げられていた。
 今日16日は、札幌コンサートホールKitaraで氏の作品のコンサートが行なわれる予定だった。
 Kitara NEWSには“公演中止”の文字が痛々しい。
 いやぁ、楽しみにしていた人もいたんだろうな。

 いずれにしろ、あの絶叫していた猫ははらむのだろう。
 で、サガリというのは本州で言うハラミとほぼ同じと思ってよい。

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2014/04/15

ざらついた肌が痛々しい…♪DSch/ステパン・ラージンの処刑

20140412shinme  庭の雪もかなりなくなったので、一部のバラの冬囲いを日曜日にはずした。
 恐れていた現象が起こっていた。2つ。

 1つは雪の重さで枝が、それも根元近くから折れていたということ。
 もう1つは、やはりノネズミに食われていたことである。

 2つというのは被害の現象であり、数ではない。
 すべての冬囲いをはずしたとき、自分が悔しさのあまりひざまずいてしまう姿が目に見えるようだ。

 それでも、赤い新芽を目にすると、心が赤い新芽を見たときのようにうれしくなる。

20140412higai  にしても、ノネズミの被害をどのように防げばいいのだろう?
 積雪前に庭の何か所かに置いておいた紙袋入りの殺鼠(さっそ)剤は、まったく無傷で残っていた。
 殺鼠剤よりもバラの樹皮の方が美味しいということだ。私も試してみたくなる。

 撒き餌(実は毒入り)に見向きもしないとなると、この際、猫を飼うしかないのか?

 でも、そのためには外で飼わなきゃ意味がない。
 猫が私になつくとは思えないし、私も猫になつけるような気がしない。姑との同居に耐えるがごとく、猫と同居したとしても、こいつがネズミを追いかけてくれるという保証はない。私の方がネズミ捕りを命ぜられるかもしれない。ミヤゥッ!って。
 そもそも私は犬の方がはるかに好きだ。こんな私にも媚をうってくれるドッグが好きだ。あんたなんて私より劣っているのよみたいな目で私を見る猫は苦手なのである。

 どうしたらよいか、難しい問題だ。
 ただ、私は雪の中、あんなに寒いにも関わらず、そしてクマさんなんか冬眠中でおとなしくしている期間なのに、アクティヴにピョコピョコと庭を横切っていたモジャ公の姿を思い出し、何らかの罰を与え、処刑しなければならないと心の底から思っている。
 処刑といっても残酷なことは私にはできない。せいぜい、頼むからどっかに行ってくれと説得工作を試みるしかない。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のバラード「ステパン・ラージンの処刑(The Execution of Stepan Razin)」Op.119(1964)。

Shostakovichzoyaash  この作品については過去記事をご覧いただきたいが、ムソルグスキーの影響を受けているとされる。そのためかどうかはわからないが、未開民族の宗教儀式で唱えられる、人間の奥底に潜む野蛮なエネルギーが吐き出されるような音楽である。処刑が題材なので、緊張感と恐怖が全編に横たわっているが、曲の閉じ方がやや中途半端な印象である。

 今日はアシュケナージ指揮ヘルシンキ・フィル、ラトヴィア国立合唱団、シェンヤン(バス)の演奏を。
 2013録音。ONDINE。

  Shostakovich: The Execution of Stephan Razin, Zoya Suite, Suite on Finnish Themes

 このCD、「ステパン・ラージンの処刑」の次には「ゾーヤ(Zoya)」の組曲が収められているが、その平和的な始まりとのギャップが大きい。海苔わさびおかきを食べたあとに森永マミーを飲んだような感じである。ご理解してもらえないかもしれないが……

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2014/04/14

北欧的ではないが優れた演奏です♪プレヴィンのシベリウス//Sym2

Sibeliussym02previn  シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の交響曲第2番ニ長調Op.43(1902)は、私にとって季節的に晩秋~初冬のイメージだが、プレヴィン/ピッツバーグ交響楽団の演奏はいまの季節、つまり雪融けから芽生えの“寒から温”の移り変わりの感じがする。

 おかしなものですね。

 って、これで終わっちゃ無責任ってものだ。もともと責任を負っている意識はないんだけど。

 シベリウス=北欧ってことで、美しい水、針葉樹の森を思い浮かべる。
 行ったこともないのに思い浮かべるのは、間違いなくCDのジャケットなんかにしばしば使われている写真のせいだ。刷り込み効果。

 先週の出張で札幌から帯広に戻るときに、それに似たような景色がないか窓の外を比較的真剣に眺めていた。カメラ片手に。で、列車の中で写真を撮るのは意外と勇気がいるものだと実感しP4100026 た。盗撮してるんじゃないかと疑われる可能性があるわけだ。

 列車はすいていて、前後は男性、通路をはさんで隣もおっさん。となると、スカートの中を撮ったりできるわけがないのだが(幸いいずれの男性もバグパイプ奏者でも女装癖の持ち主でもなく、スカートを着用していなかった)、でも私が無類のおっさん好きで彼らを盗み撮りしていると思われないとも限らない。
 そんな緊張感と、北海道を観光旅行しているみたいで恥ずかしさを感じながら、窓の外を見ていた。

 石勝線は新夕張を越えたあたりから山の中へと入って行くが、2枚目の写真は新夕張駅よりも札幌寄りの、たぶんダム湖である。

 美しくない。
 はっとするようなブルーじゃない。
 北欧的じゃ、全然ない。
P4100028  美しくないから感動しない。だから、もしここで脱線して下に落ちたら間違いなく溺れ死ぬだろうなと、余計なことを考えてしまう。

 さらに進んで、川。
 ここはちょっと景観が良い。よく見えないだろうが川底が洗濯板みたいな感じになっている。
 が、北欧的じゃ、あまりない。
 これなら、札幌市内のパン屋の方がダイレクトに北欧的だ。

 で、占冠、トマムあたりで針葉樹林に覆われた山を撮ろうと思ったが、みぞれが降っていて遠くはよく見えないし、近くはというと、けっこうシラカバが混じっている。
 シラカバ花粉のアレルギー持ちの人がこの辺をハイキングしたら鼻水まみれになるんじゃないだろうかと、またまた邪念にとらわれる私。ところどころ廃屋があったが、これまたシラカバ花粉のアレルギーで住んでいられなくなったのではないかと、あり得ないことを考えるアタシ。

P4100033  で、新得の手前の信号所で臨時停車。石勝線は単線なので列車行き合いのため、何度かこういう停車がある。
 そのとき線路わき(というか、複線の間)に奇妙なものを発見。
 もう北欧らしきものを求めるなんて概念は私から消失し、まるでVOWネタ探しみたいになっていた。

 これなんですかね?
 タイヤ……。
 いえ、それは私にも認識できます。
 なんのために?

 おや?これってプランター代わりなのだろうか?
 もう少ししたらJRの人が、臨時停車でイライラする人たちの心を花で癒して差し上げましょうと、チューリップとかベコニアを植えるんだろうか?
 だとしたら、実に粋なはからいだ。が、そうでない今の状態は、なんか殺伐としている。
 あっ、そうか!停車時間に余計なことを考えさせないために、これはいったい何かにだけ考えをP4100034集中するようにしているのだろうか?

 さらにここには不思議なものが。
 この笹の葉を棒の先にくくりつけて立てているのは、何の道具なのだろう?
 ほうきにはならない。あまりにも葉が弱いだろう。

 風力計か?
 いや、これを見るよりそこいらじゅうに生えているササそのものを見た方がわかりやすい。

 鹿よけか?
 魔よけか?
 アクセサリーか?

 いくら考えてもわかわらない。
 
 そんなこんなしているうちに新得に着き、あとはほぼ平たん部を列車は走行。
P4100038  車内に目を戻すと、トイレの表示等に目が行った。
 なぜならトイレに行きたいような気になって来たからだ。
 が、“便用中”。
 誰かがウン〇をしている最中らしい。

 違った。“使用中”だった。 
 やれやれ。
 すっかりジィは目が疲れてしまったわい。
 ピンボケ、手ぶれですまない。
 禁断の車内撮影で、緊張しちゃったのだ。決してアル中で手が震えたんじゃあない。

 さて、交響曲第2番だが、最初に着手されたのはフィナーレの主題だった。1899年6月のことである。
 この主題はしばらくそのままにされたが、シベリウスが1901年の2月から3月にイタリアに旅行した際に、この交響曲の一気に書き進められた。最終的に仕上げたのはフィンランドに戻ってからだが、春に温暖な地で作曲されたことを思えば、やはりこの時期の雰囲気にあっているのかもしれない。
 まっ、いつ聴いたって構わないんですけどね……

 プレヴィンのこの演奏は、端正でいてところどころチャーミングな表情も見せる。過度に感傷的になっていないのもいい。
 音の透明度も高いし、なかなか良い録音だ。
 1977録音。EMI。

  シベリウス: 交響曲第2番; ショスタコーヴィチ: 交響曲第6番<タワーレコード限定>

 昨日の15時から、札幌の紀伊國屋書店で、慶應義塾大学大学院教授の林美香子さんの出版記念トークショーがあった。
 あのあたりを徘徊していた私はそれを聞いてみようかと思ったが、計算違いで薄手の上着で出かけて来てしまった私は、終了まで聞くと帰り道に全身しもやけになる恐れがあった。
 かといって、明るい会場は途中で抜けにくい雰囲気。
 ということで、外側からちょい見だけして帰って来た。
 なんだか何しに出かけたのかわからないことになってしまった。

 今日は会議である。
 明日は戻って、いよいよ歯科医院にも行く。

  農業・農村で幸せになろうよ―農都共生に向けて

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2014/04/13

帰って来ぉ~いよぉ~っ!♪伊福部/ラウダ・コンチェルタータ

Ifukuberhapsody  昨日の記事を読んでいただくと、隠された秘密として、冒頭主題が曲の最後に再登場したり回顧される音楽作品に私が弱いということが読み取れるだろう。

 そういう回顧あるいは回帰テクの曲は、実はけっこうある。

  また、循環形式の作品は曲頭と曲尾というものではないが、同じように位置づけることもできる。

 それにも関わらず、私が、伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「ラウダ・コンチェルタータ(Lauda concertata)」(1979)を初めて聞いたとき ― それは札響の定期演奏会でだったが ― の衝撃は生半可なものではなかった。

 その後の私の人生のなかで、この衝撃に匹敵するものといえば、前立腺検査で肛門に指を突っ込まれたときの「ううっ……、センセ……っ」というものと、なぜか真っ赤なおしっこが出てきて、病院でなかば強引に膀胱鏡をオチンチンの先から入れられ、その麻酔が切れたあとにオシッコをしようとしたら、1滴出そうになるたびに全身を貫いた痛みのすごさ、ぐらいではなIfukube201108 かろうか。

 伊福部作品の単一楽章作品のいくつかは、大まかにA-B-A'の構成となっている。
 ヴァイオリン協奏曲第2番交響的エグログリトミカ・オスティナータ鬢多々良……。

 ラウダ・コンチェルタータもこの形だが、この作品の場合は弦による冒頭のゆるやかな頌歌風のメロディーが、曲尾で金管によってモロ出しで叫ばれるのである。
 清楚な女子高生だった憧れのヨシコちゃんが、その後筆ペンなみの長さのまつ毛にデーモンなんとか顔負けの激しい化粧をして同窓会に乱入してきたようなものだ。
 いや、なんか違う。
 でもそれぐらいショックなのだ。

 冒頭旋律が最後にも現れるものとしては、ほんの一例をあげるなら、マーラーの交響曲第8番ショスタコーヴィチの交響曲第7番なんかもそうだ。
 こういう作品を聴くと、フルコースでステーキを上品にいただき、デザートのラズベリーのシャーベットでため息をついたところに、再び前菜が、それも大盛りで出されたときのことを思いIfukubeaniv 出す。そんな経験をしたことはないが……

 ただあの夜、私が過呼吸になっちまったんじゃあるまいかってくらいにヒーヒーフーフー(あくまでイメージ表現である)になったのは、もちろん伊福部昭の音楽そのものが私の心を捉えたためだ。私だって、回帰現象が起きればなんでもメロメロになるってわけではないのだ。好きだけど。でも、怪奇現象は好きではない。知的な人間ほど科学で解明できないことを嫌うと言うではないか!

 CDは安倍圭子のマリンバ、山田一雄/新星日本交響楽団の初演時(1979)ライヴが、この曲の録音の定番。掲載した上の写真のCDがそうだったが、いまはその下の深紅のCDに収められてている(フォンテック)。
 ただ、これは音があまり良くない。
 熱気はやや収まっているが、石井眞木/新交響楽団の1993年ベルリン・ライヴ(マリンバは安倍圭子)は山田の演奏よりもこなれたもので、私としてはこちらをお薦めしたい(フューチャー・ランド)。

 安倍圭子もけっこうなお歳になったようだが、山口高田といった次の世代が「ラウダ・コンチェルタータ」を取り上げるようになってきてうれしい。作品がすばらしくても、弾き手が現れなきゃどうしようもないから。

 ただ、これらは吹奏楽版(廃盤)やピアノ・リダクション版。
 この人たちがオーケストラによるオリジナル版の演奏を録音してくれたらなぁと願っている。生誕100年でもあることですし……

  伊福部昭 ラウダ・コンチェルタータ他

  伊福部昭: ラウダ・コンチェルタータ(ベルリン・ライヴ), 他 - 傘寿記念シリーズ<タワーレコード限定>

  伊福部昭:(ピアノリダクション)「ラウダ」

 明日の会議のため、また札幌へ。
 移動中に何か面白いことがハップンしたらネタになるんだが……

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2014/04/12

最初のがまた戻ってくる。そういうのに弱いんです♪CPEB/Wq.43-4

Bachcpe182hengelbrock  医療が驚くほど発達していたなら今年300歳を迎えるC.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88 ドイツ)の「6つのチェンバロ協奏曲(6 Concerti per cembalo)」Wq.43(1771)から、第4番ハ短調Wq.43-4,H.474

 この作品についてはここで触れているが、失礼ながらWq.183のシンフォニアのついでという扱いだった。

 が、この曲、やっぱり良いのである。
 私はとろっとしちゃうのである。
 長いもをすりおろしていたときにも、思わず手を手を止めてしまった。

 何が良いって、最初からそのメロディーにやられてしまうのだ、私は。脳殺……!
 ま、CPEBの作品って、たいていはしょっぱなで勝負をかけてきて、ほとんど私は全敗状態なんだけど……

 第1楽章の哀愁、憂い、切なさ、物悲しさ(同じようなこと並べてるだけか)。第2楽章はより深く悲しみに沈む。第3楽章で幸せを感じさせるメヌエットとなるが、それはつかの間。第4楽章は、あの第1楽章が音を上げて(ランクアップとかいう意味じゃありません)再び現れ、全曲を統一する効果をあげている。なんて計算高いんでしょう?(別なメロディーが思い浮かばなかったわけではあるまい……)。
 4つの楽章が完全に独立しているのではなく、A-B-C-A'って形にしたんでしょう。たぶん。

 J.S.バッハのチェンバロ協奏曲は技巧的にもっと凝っているのだろうけど、メロディーの魅力や回帰効果でみれば、この曲は父親のものに負けないものだと思っている。

 今日は、シュタイアーのチェンバロ、ヘンゲルブロック指揮フライブルグ・バロック管弦楽団の演奏を。
 1990録音。ドイツ・ハルモニアムンディ。

 このディスクには他に「シンフォニア」Wq.182」から第3~5番(6曲からなるこのシンフォニア集の中で特に私が好きな第2番と第6番を意地悪にもはずしてくださっている)と、華々しいオーボエ協奏曲変ホ長調Wq.165(1765。チェンバロ協奏曲変ホ長調Wq.40(1765)のオーボエ版)が収められているが、いずれも響きが豊かですがすがしい演奏だ。
 オーボエ・コンチェルトのソロはヴェスターマン。

  C.P.E.Bach Edition<完全生産限定盤>

 ランクアップといえば、ご存知のように、そして目障りだろうけど、現在私は5つのブログランキングのバナーを貼っている↓↓↓↓↓。

 これを読者の方がクリックしてくださることによって、このブログのランキングをアップさせていただけるという仕組みでござるが、このアップダウンがよくわからないんどす。

 だから何を言いたいかというと、5つのランキングうち上がるものがあるかと思えば、同じ日に別なランキングはぐっと下がることもあり、またその逆もあったりで、動きがよくわからないということだ。

 ランクがアップしたからといって、ロト7が当たりやすくなるとか(買ってないけど)、象印賞がもらえるなんてこともない(大昔のクイズ番組だ)わけで、単なる自己満足にしかすぎないし、実は私自身意味があることのようにあまり思えていない上に、かえって自己不満足になっちゃう要素でもあるのだが、一度登録してしまうとやめるのは負け犬のような気がして、貼り続けているってわけだ。

 そんなわけで、遠慮しなくていいし、ましてや後ろめたさを感じることはないので、クリックして欲しい。今日も。気が向けば。もちろん向いてると思うが。

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2014/04/11

アンニュイ満載列車の中でビスケット!♪ベルリオーズ/クレオパトラ

Berlioz_antonacci  久々に夜の通勤電車に乗った。
 もちろん出勤するのではなく、家に帰るために。

 明るい車内。でも、みんなの表情はアンニュイ。暗い社内の出来事に疲れたのかしらん?
 とはいえ、そのアンニュイ度はそれは東京の夜の通勤電車ほどではない感じだ。東京の人たちってホント疲れきってるように見える。

 そんな沈滞した雰囲気の乗客たちのなかで、なぜか妙ににやけた若者がいたりするが、その出現頻度も東京に比べれば少ない。
 人が増えればそれに比例して調子のよろしくない、いや、行動を理解しがたい人の割合も増えるってわけだ。

 私は通路に立っていたのだが、要領よく、いや、幸い座ることのできたおねえさん(左の写真とは一切関係ありません)が、ブルボンのOREOを食べていた。家に帰るまで空腹をがまんできないのだろうか?あるいはどこかで夕食をとったあとのデザート代わりか?

 彼女が手にしていたパッケージで私が確認できたのは、“ボン”と“EO”の文字だけだったが、まさかバカボンのクレオパトラじゃあるまい。
 そもそも、バカボンのクレオパトラってなんじゃい?
 お調子悪いみたい、ボク。

  どーでもいいが、そんなわけでベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1969)のカンタータ「クレオパトラの死(La mort de Cleopatre)」H.36(1829)。
Berliozsfseguin
 ローマ賞に応募した作品で、詞はP.G.ヴィエイヤール。ここでは以前、ブーレーズ盤を取り上げている。

 2つの部分からなり、ここにはのちに序曲「ローマの謝肉祭」や「レリオ」に使われるメロディーが出てくる。
 

 今日はアントナッチのソプラノ、ネゼ=セガン指揮ロッタルダム・フィルの演奏を。

 餡とナッツを想起させる名前のアントナッチは、オペラチックな豊かな表現力。やや硬質な声色がこの曲に合っている。
 オーケストラも、繊細な弱音からボリューム十分の強音までバランスを崩すことなくしかし積極的に歌手を支えている。

 2010録音。BIS(SACD)。

  ベルリオーズ: 幻想交響曲, 劇的情景「クレオパトラ」

 昨日出張から戻ったが、今回の出張で初めてウォークマンに付属していたノイズキャンセル対応ののイヤホン(ヘッドフォン)を使ってみた。もちろん、本体のノイズキャンセラーをONにして。

 こういう機能を使うと音自体が悪い方向に変化するかと思い今まで使って来なかったが、こんなに効果があるのかというくらい雑音、騒音が消える。これなら列車の走行音、エンジン音、空調のうるさい音が混じった音楽を聴くより、仮に音の質が低下するとしても(実際のところよくわからなかったのだけど)、ずっといいことがわかった。
 もっと早くから勇気を奮って試すべきだった。

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2014/04/10

委縮する私、堂々たる響き♪クレンペラーのブルックナー/Sym6

20140409coni  クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第6番イ長調WAB.106(1879-81)。

 昨日の記事がエンペラーだったから今日はクレンペラー、なのではない。
 グーゼンってやつだ。

 さて、今回札幌の会議で一緒になった某支社の某さんが、「これからの人生、もうペラペラな薄っぺらいものになってしまった」と、ボロボロに落ち込んでいた。

 ドックで膵管拡張が見つかったことは2週間ほど前に聞いていた。そのとき、「私も4年前に引っかかり、おまけに継続特典のように翌年の3年前にも引っかかったけど、再検査でなんとか大丈夫だったよ」と心から大丈夫に違いないと勇気づけたのだったが、再検のCTの結果は慢性膵炎。今後は1滴たりともお酒を飲んではいけないと宣告されたということだ。
 さらに受けたMRIの検査結果はまだ出てないというが、私の場合は音波内視鏡検査もしたというと、自分はそれを言われていないと不安そうな表情になってしまって、余計なことを言ってしまったかなと、ちょっぴり思った。
 で、「あれは麻酔のせいで検査後もけっこう長い時間棒に振るから、お医者さんも段階を踏んでるんでるのかも……」と、慰めてんだか追い込んでるのかわからないようなことも言ってしまった。が、いずれにしろやっぱりなんでもなかったという結果になることを祈ってる。

20140409garden  今回の出張では久しぶりに自宅に宿泊したが(って言い方は実に妙だ)、玄関前アプローチの雪はすっかりなくなっていたものの、庭にはまだけっこう雪が残っていた。熟語でいうと残雪ってやつだ。熟女でいうと、はて?
 ということで、バラたちの幹は雪ノ下。ノネズミの被害に遭っていないかどうかは不明のままだ。

 また、積雪の影響で端正な容姿が崩れつつあったコニファーは(加齢の影響で端正な容姿が崩れつつある自分の姿とオーバーラップする)、地際からの幹が開脚状態。下部の枝は雪で折れてボロボロだ。

 にしても、2月の雪かき中に手を滑らせて雪の中に見失ってしまったミネラルウォーターの
ペットボトルが、雪解けが進んだ今もまだ発見されていない。実に不思議だ。

 ところで、フィルハーモニア管弦楽団とニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いはご存知?
 「ニューがついてるのと、ついてないの」
 はいはい、そのとおりですよ、おじょうちゃん。
 でもね、これからは“・”のことも見落とさないようにようにね。

 では、大人向けの箇条書き説明。

 1945 フィルハーモニア管弦楽団がEMIのディレクターだったレッグによって創設。
 1964 財政難からレッグが解散を宣言
     名称をニュー・フィルハーモニア管弦楽団として自主運営オケとして再スタート。
     終身指揮者はクレンペラー。
 1977 “ニュー”をとり、再びフィルハーモニア管弦楽団の名称に戻る。

 ということなのである。

Brucknerklempere  初代フィルハーモニア管は当初、カラヤンの指揮で多くのレコーディングを行なった。しかし、途中でベルリン・フィルの常任指揮者になったため、カラヤンとの関係は疎遠となった。そのカラヤンののあとに招かれたのがクレンペラーで、1959年から終身指揮者となっていた。
 またニュー・フィルハーモニア管は1972年に客演したムーティをすぐさま首席指揮者にした。

 さて、ブルックナーの第6交響曲は彼の他のシンフォニーに比べ、ちょっと女性的である。女っぽいんじゃないですよ。女性的なんです。その存在はベートーヴェンの第6交響曲に似ているように私は思う。

 が、クレンペラーの演奏を聴くと、やっぱこれ、ブルックナー以外の何物でもないじゃんってものになる。

 この曲がこれほど大きなスケールで鳴り響く演奏は、なかなかほかにない。
 風格を感じる。
 岩でできた要塞のようにガッシリしている。
 重量感抜群。そのさま、体当たりしてもびくともしない女性力士のごとく……
 金管の響きもうれしいくらいビンビンで伸びやか。

 1964録音。1881年稿ハース版。

  Bruckner: Symphony No.4-No.9<限定盤>

20140410morning  時おり胃にキリキリとした痛みが走る。
 気のせいではない。間違いなく。
 カメラで委縮性胃炎が発見されたのだから当然だが、その判定が痛みを喚起しているような気がしないではない。
 日々委縮した生活をしていると胃炎ですら委縮性のものになるのだろうか?

 まあ、とにかく今日は出張から戻るが、朝から雨かよ……
 気持ちが縮む……

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2014/04/09

少なくともソロの邪魔はしていないが…♪キーシンのLvB/p協5

Beethovenpf5kissin 人間ドック判定結果報告。

 まず私が1ケタ台の順番を得られなかったことについては、不徳の致す限りであります、ではない。胃内視鏡検査を受ける人は、向こうが受診番号を指定するのだ。それだけの話だ。私には何の非もない。 

 採血し、視力検査のあとは超音波検査。しかしこの検査で私が要した時間は人並みだった。そのとき、今回は好成績が残せるのではないかと、ちょっと期待した。
 膵管拡張で引っかかったときは3人前分くらいの時間をかけられたからだ。

 さらにその前の採血のときに、保健師が私の腕を触り血管を求めながら、「肌、きれいですね」と言ってくれた。同じ人がそのあとの指導をするかどうかはわからないものの、今日はあまりいじめられない気がした。

 バリウム検査をやめてオプションで胃カメラを飲んだが、これもウェウェとなることなくすんなり飲めた。

 すべてが良い方向に向かっている予感がした。

 私の胃カメラの検査が終わったのは11:30だったが、そのあと30分間は飲食は禁止。昼食は12時からにするよう指示を受けた。
 しかし、私とほぼ並行して胃カメラ検査をしていた人が、ドックのロビーに戻るとすぐに用意されていた弁当を食べていたのを見て、私も「そっか、配膳の人たちを遅くまで待たせてることは良くないことだ」と思い(バリウムの人たちは11時から順次昼食をとっている)、11:45に食べ始めた。自らの身を犠牲にしてまで配膳係の人たちのことを優先したのだ。
 でも、胃や食道に激痛が走ることはなく、実に貧相な弁当だと心の中でケチをつける余裕さえあった(この美味しくなさにはまさに“閉口”した。腹ペコなはずなのにけっこう残した)。

 午後、医師から結果を言い渡される。
 再検査はなかった。
 萎縮性胃炎や昨年同様の脂肪肝はあったが、再検査を要するものはなかったのだ。
 ただ、血液検査の結果は改善されておらず、血糖値が糖尿病まではいっていないがやや上昇、中性脂肪は大幅に上昇していた。私のヘルシア生活はまったく無駄だったのだ。

 それでも、医師との面談が終わり、ドアをあけて待合ロビーに出たときの気分はやや華やかで、ジャーーン、トンポンタンランポンティンランタリタリラリラリタリ……というメロディーが私の脳を覆った。

 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝(Kaiser/Emperor)」(1809)。
 局長が尊大、いや、曲調が壮大なためにこの名がついた。つまりベートーヴェン自身が命名したものではない。
 あっ、上のトンポンタン……ですぐに「皇帝」の冒頭のメロディーだとわからなかったからといって、落胆する必要はまったくない。書いた私自身が読み返して何のことだかさっぱりわからなかったくらいだ。

 今日は、キーシンのピアノ、レヴァイン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏。

 レヴァインの悩みなんてないようなサポートが、良く言えば控えめにピアノを引き立てているが、悪く言えば演奏に気持ちがこもっていないような感じ。

 一方、キーシンの完璧ともいえる演奏は私の胃壁を勇気づけるかのようだ。
 力強いがきれいに粒立つ音を次から次へと発散する。が、なぜか低音が力不足。

 で、すごいキーシンと、悪くはないがとりたてて褒めるところもないレヴァイン率いるオーケストラの関係が、なんだかよそよそしい。

 ぼーっと聴いてる分には悪くないんだけど、真剣に聴くと私もよそよそしい気持ちになる。
 ソロが上手なだけにもったいない……

 1997録音。ソニークラシカル。

  Evgeny Kissin - The Complete Concerto Recording<完全生産限定盤>

 そのあとの保健師との面談は友好的に行なわれた。採血のときの人とは別な人だが、去年とは違って、頭ごなしに決めつけることのない指導の仕方だった。
 こういう言われ方をすると、「うん、ボクがんばってみる」って気になる。

 その保健師さんに「ヘルシアを飲み続けていたのに、アタシの努力は無駄でした」と言うと、ヘルシアを飲んでいるのに中性脂肪やコレステロールの値が上がるという例はいくつかあるそうだ。「合う人と合わない人がいるんですね、きっと」と、差し障りのないことを言っていたが……
 そしてまた、人間ドック学会が基準値を見直したことに関しては、そんなことちっぽけな出来事ぐらい私の数値が悪かったので質問できなかった。

 昨日クレンペラーの演奏を取り上げたので、今日はエンペラー。ってことではないが、以上でごった煮のような報告を終える。

 エンペラーといえば、かつてすすきのにあったマンモス・キャバレー“エンペラー”を思い起こす人もいるだろう。私も2度ほど行ったことがある。けっこう若いころに上司とともに親切なお客様に連れられて。
 でも、そのときでさえ思った。なんだか前時代的だなぁ~って。

 昨日の朝はJRも定時運転。
 この当たり前がうれしい。
 私の行程は順調ってわけだ。

 ドックも終わったことだし、結果はどうであれ、ここはひとつ豪勢にエスタの四川飯店に行って担担麺に小ライスを食らいたいところだったが(←反省してない!)、昼をまたいでの会議のためそういうわけには全くいかず、出されたちょっと上品であるがゆえに物足りなさが残るお弁当でがまん(注:過去記事に載っている「松の実」はもうありません)。
 って、ただで食べさせてもらうのに文句を言えるわけがないし、実のところすごくありがたいと痛感しており、さらにまた、これくらいの量が健康的なのだということにも薄々感づいてはいる。
 そう、どう言い訳しようとも、私はふだん食べ過ぎているのだ。
 で、夜に行った焼鳥屋では「〆にどうぞ!」とお薦めされていたソバをがまんした。

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