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2014/04/24

暇なんてねぇよ!♪ヨッフムのブルックナー/Sym1

Brucknerboxjochum  すでに何回か、クレンペラーが振ったブルックナーのシンフォニーの演奏をこのブログで取り上げているが、ブルックナーっていやぁヨッフムがいたじゃんってことを思い出し、あらためて聴くことにした。

 クレンペラーだのヨッフムだの、ここにきて古い指揮者の演奏に個人的リバイバルしているが、なんだか自分が赤ちゃん返りしているような気がしないでもない。
 赤ちゃん返りじゃなく、ビッグクランチといえばカッコイイかな?ビッグクランチっていうのはビッグバンの反対の現象のことで、大食いの昼飯のことではない。

 それはともかく、ヨッフムのブルックナーといえば、最初の全集も評判が高かった。が、下記の理由から、ドレスデンとのものをきちんと聴く決意を固めた。

                         記

 1. 理由
 「クラシックCDの名盤 演奏家篇」(文春新書)で中野雄氏はヨッフムが録音したブルックナーの交響曲全集について、「オーケストラから、作曲者の天職であったオルガンの響きが聴こえる。全集は二種類あるが、録音状態も考慮に入れればドレスデン国立管弦楽団といれたEMI盤か。ヴァントやカラヤンには、この天国的な壮大さと、何よりも宗教的安らぎがない」と書いている。そのため、ドレスデン国立管弦楽団との録音を選定いたしたい。

 2. 目的
 鑑賞するため

 3. その他
  (1)個人的にはボックスとスリーヴの色が抹茶のようで好きだが、抹茶自体は特に好きではない。
  (2)もう1つの全集は、ベルリン・フィルとバイエルン放送交響楽団を振ったものである。

 ♪ 

Bruckner1jochum_2  そのヨッフム/ドレスデン国立管(シュターツカペレ・ドレスデン)によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲全集から、今日は第1番ハ短調WAB.101(1865-66/改訂1890-91)。使用楽譜はリンツ稿ノヴァーク版。

 はっきりいって参った。
 これまで聴いてきた第1番の演奏の中で、最も興奮させられた。ブルックナーの交響曲の中でも1番は好きな方だが、この曲をこれほどすばらしいと感じたことはなかった。驚いた。
 所有しているCDのうち、少なくともあまりお気に召してなかったバレンボイム盤を聴くことはもうないだろう。

 とにかく私はべた褒めしたい。ヨッフム、うっふん!って気持ちだ。
 あまりにも心奪われ、やや“あばたもえくぼ”状態になっているかもしれないが……

 冒頭のズンズンズンズンというリズムに渋く呼応するホルン、盛り上がっていくヴァイオリン。それはヒュルヒュルヒュルヒュル~と越冬ツバメのアクロバット飛行のごとし。
 第2楽章のブラックホール的凝縮度。あくびする暇さえ与えてくれない。
 第3楽章。この不機嫌なダンスも盛り上がり十分。生意気さ十分。
 そして第4楽章の威圧的迫力。最後は激しくも優しい輝きを放つ。
 ブルックナーの第1番を聴き終えて、こんなため息をつくことがあるなんて思ってもみなかった私。
 あっはぁ~ん……

  Bruckner: Complete Symphonies

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2014/04/23

2人の井上さんがおっしゃってること♪フックス/皇帝レクイエム

Fuxrequiem  このところ松山千春の故郷の町に出かけることが多い。

 千春の家を見学するためではない。
 化石博物館を訪れるためでもない。
 それだけは言い訳しておこう。

 昨日も行ってきたが、昨日においてはオーダマンボ&アルフレッドも一緒だった。
 この組み合わせだとレジャーか?山菜採りか?って誤解されそうだが、違う。ちゃんと仕事をしに行った。

 そしてまた、今日の私はといえば、午前中はワイン城とドリカム記念館のある町に出かけ、夕方からは札幌に向かうという行程である。
 
 フックス(Johann Joseph Fux 1660-1741 オーストリア)の「皇帝レクイエム(Kaiser Requiem)」(1740以前)。

 井上和男編の「クラシック音楽作品名辞典」には、「フックスはウィーンの聖シュテファン大聖堂および宮廷礼拝堂楽長などを務めた人で、対位法の教本「パルナッソス山への階程(Gradus ad Parnassum)」(1725刊)の著者として特に有名である」と説明されている。

 また、井上太郎著「レクィエムの歴史」(河出文庫)には次のように書かれている。

 18世紀のウィーンの教会音楽の伝統を築いた人ヨハン・ヨーゼフ・フックスがいる。彼はハプスブルク家の3代の皇帝に仕え、ウィーンの宮廷楽長を務めたばかりでなく、聖シュテファン大聖堂の第一楽長の地位にいた人である。彼はパレストリーナを範とするア・カペッラ様式を尊重したが、それだけに固執することなく、器楽を重視した教会音楽作品をおびただしく書いた。ミサ曲は80曲に上り、レクィエムも3曲あるが、資料が散逸しているために作品の研究は進んでいない。レーオポルト1世の皇太后の葬儀の際に演奏された曲は1720年作曲のものと考えられ、ようやくその一部がクレマンシック・コンソートにより録音された。見事な対位法を駆使した美しい曲だが、同時代のイタリアやフランスのレクィエムに比べると古風な印象を受ける。
 ―(中略)―モーツァルトもベートーヴェンも、彼が書いた対位法の教科書「パルナッソス山への階梯」(1725年)によって対位法を学んだのである。


 和男さんと太郎さんで“カイテイ”の漢字がさりげなく違う。
 だからといって目くじらをたててはいけない。
 私だって無理を承知で“行程”を“皇帝”にすり替えたのだ。笑顔で肯定していただきたい。

Fuxtrack  太郎さんが書いているクレマンシック指揮クレマンシック・コンソートのCDには「皇帝レクイエム」のほか、いくつかの作品が収められている。

 正直なところ、トラック表記がわかりにくく、収録作品のどこからどこまでが「皇帝レクイエム」なのか私は悩んだ。
 そして、いまだに判然としていない。私のなかでは。

 和男さんによれば、「皇帝レクイエム」の編成は、ソプラノ2,アルト,テノール,バリトン2,バス,弦楽,トロンボーン2,ポジティヴ・オルガンで、“神聖ローマ皇帝カール6世の葬儀で演奏”との注記がある。

 なんだか混乱させられている。私は。

 収められている最初の作品では憂いをおびた曲調ながら、ヴァイオリンとチェロの音が伸びやかに耳穴に飛び込んでくる。このとっぱじめでけっこう心を捉えれちゃう。空間に所せましと音が放射される。
 オルガンのシャコンヌの最後、バスがブンブン鳴るのは快感。「皇帝レクイエム」の“レクイエム・エテルナム”はグレゴリオ聖歌を思わせるもので、癒される。“ディエス・イレ”はドラマティックだ。ほかの作品も強烈な印象を残すとまではいかないが、なかなか面白い。

 太郎さんは「古風な印象を受ける」と書いているが、私もそ異議なーし!もっと前の時代の作のように感じる。
 しかしここに収められている作品たちがもつ独特の素朴さは心に訴えてくるものがある。

 1991録音。アルテノヴァ・クラシックス。

  皇帝のレクイエム~フックス:作品集

  井上和男 クラシック音楽作品名辞典 (第3版)

  井上太郎 レクィエムの歴史―死と音楽との対話

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 ※ ご面倒かとは思いますが、↑↓をクリックしていただきたく候

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2014/04/22

おやじはCVSの天丼でムネが焼けます♪サロネンのGM9

Mahlersym09salonen  先週、ヤマダ課長の課に入った新人の歓迎会があったということに、ちらっと触れた。
 女性の新入社員である。
 まだ18歳である。
 
 食事をしながら誰かが彼女に聞いた。

 「好きな食べ物はなぁに?」
 「カレーです」
 「へぇ~」
 「毎日でもいいんです」
 「どこか美味しいお店ある?」
 「インデアンですっ!」

 かわいいではないか!
 初々しいではないか!

 すると去年の新人、すなわち現在2年目の女子社員が言った。
 「私は天ぷらです」

 天ぷらとなると初々しいという概念からややはずれるが、和食を食べて「テンプラぁ~、スキヤキぃ~、フジヤマぁ~」と感嘆している欧米人のようで心が温まる。

 「太っちゃうって思うんですけど、昨日は天丼食べたんです。とっても美味しかったです」
 「へぇ、どこで?」
 「コンビニで買いました」

 前言をひるがえそう。初々しいではないか。
 コンビニの天丼で感動しているなんて、心が温まる。レンジで60秒経過後のように。
 そしてコンビニの天丼で胸焼けしないことを、私は羨ましく思う。

 あるいは毎日カレーを食べても胸焼けしないことに対しても、私は感心する。

 そうか!
 若さとは油に強いことなんだ!

 それにしても、彼女たちの好物がカレーとか天ぷらでよかった。
 レバ刺しとかおじやって言われたら、けっこうリアクションが難しい。
 おやじだったら良い子だと思っちゃうかもしれないけど。

 こういう話題とは関係ないが、私はこの日悪酔いしてしまった。
 どういう事情か知らないが、とにかくハイボールのウイスキーが濃かったのだ(お店の好意ととらえるべきだろうか?)。帰宅した時間は9時過ぎ。しかし、私は死ぬように眠りについてしまった。

Mahler9ending  マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1909-10)。
 曲の最後にesterbendという指示がある。「死ぬように」もしくは「死に果てるように」、「死に絶えるように」という意味だ。
 が、サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏(2009年ライヴ)からは、そのような印象を受けない。

 それが悪いと言っているのではない。
 この演奏、大げさに叫んだり自己陶酔するようなものではない。
 マーラーの曲が持つ聖と俗のバランスがうまくとれていて、決して下品に陥らない。かといって、おすまししててつまらないというものでもない。
 
 特に私は、終楽章の開始に、なんて優しげで柔らかなのだろうと、ソフラン仕上げのタオルに頬ずりしたときのように感心してしまった。
 人によってはもうひと押し欲しいと思うかもしれないが、とてもすばらしい演奏であることは間違いない。

 signum CLASSICS。

  Mahler: Symphony No.9

 私もサロネンのこの演奏のように、品の良い飲み方、バランスを崩さない酔い方を心がけなければ……

 そうそう、ヤマダ課長の調子は戻ったみたいだ。

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 ※ 私としては、おの↑おの↓ひと押しして欲しい気がします。

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2014/04/21

誘惑に負けてポンポンが痛くなったんです♪伊福部/アイヌの叙事詩…

Ifukubelied  実は正直に申し上げると、先週のヤマダ課長はなんとなく身体の調子が悪くて、いまひとつ精彩を欠いていた。
 もっと正直に言うと、調子が悪いのが身体のどこかというと、それはおなかだった。

 先々週の金曜日のことだったそうだ。

 ヤマダ課長は阿古屋係長と仕事帰りに焼き肉屋ではないが、肉料理自慢の居酒屋に立ち寄った。その日の私はどうしていたかというと、オーダレッドさんたちと、真の焼き肉屋に行き、窓辺どら猫合唱団の性の叫びを聞いていた。

 以下はヤマダ課長の供述である。

 レバーがあったんで、おっ、たまにいいなと思って注文したんです。
 すると卓上の炭火コンロと、皿に盛った生レバーが運ばれてきたんです。
 あまりに艶っぽかったんで、1切れ生で食べたんです。ええ、美味しかったですよ。
 私の勇敢な姿を見て、係長も真似たんです。
 係長ったら「うまい、うまい、うまいっすね。あっ、ほんとにこれうまいっす、あはははは」と、3切れも食べたんです。いえ、ワライタケじゃなくて、レバーをナマで。
 次の日でした。おなかが夢の超特急になったのは。
 そして、ずっとなんとなく調子が悪いんです。
 焼かなければならないものを生で食べた罰です。
 係長?係長もおなかを壊してるって言ってます。でも、私の3倍食べたのに、症状は私の3分の1なんです。
 不条理を感じます。係長、丈夫です。


 あらら、犯罪ですね。文句のつけ先はもちろんない。
 お店には何の落ち度もない。むしろ営業妨害と言われるかも。

 でも、食あたりならもっとひどい症状になると思う。寄生虫の心配は牛レバーなら、ゼロではないものの、あまり考えなくていいと思う。

 水曜日の夜は、ヤマダ課長の課に今年入った新入社員の歓迎会があり、私も参加した。
 そのときの課長は静かにお酒を飲んでいた(係長とは対照的に)。それなりに調子は確かに良くなかったのだ。
 しかし、昼は中華ちらしや牛すじカレーを食べて過ごしていたから、深刻なものではないだろう(この点については係長も同じだが、彼の場合は調子が悪いということ自体が思い込みなんじゃないかと、私は思いはじめている)。

 先日、むかし私が飼っていたアイヌ犬のことを書いたが、実はこの話、前にも書いている。
 そして、今日は伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「アイヌの叙事詩による依る対話体牧歌(Eclogues after Epos Among Ainu Races)」(1950)。
 前に書いたときも同じ展開だったわけで、繰り返しになる。
 藍川由美のソプラノ、山口恭範のティンパニによる1987年の録音のディスク。
 
 その解説には次のように書かれている。

 ……これを歌っている新進ソプラノ藍川由美は……

 20数年前は新進だったんだよな。確かに。1956年生れだそうです、彼女。

 3曲からなるが、第2曲のメロディーは映画「コタンの口笛」や「釧路湿原」にも使われている。

 このディスク、廃盤。中古は価値ある(?)お値段。

  日本の声楽・コンポーザーシリーズ 3

 ベテランになってからの録音はこちら。

  伊福部昭:全歌曲

 果たしてヤマダ課長、今日はもう治っているのか?それはこのあと出勤して、会ってみてのお楽しみである。

 そうそう、土曜日にスーパーで“レバ刺しコンニャク”なる商品があるのを発見した。
 いや、コンニャクである。レバー由来成分は入っていない。
 が、レバーそのものという色。形も直方体ではなく、不定形。気持ち悪いほどリアル。
 「レバ刺し好きも絶賛」なんだそうだ。

 私は絶対食べたくない。
 そもそも私はレバ刺し嫌い。ゆえに、代用品も必要ない。
 だが、ヤマダ課長にプレゼントしたら喜んでもらえるかも……

 おっ、amazonにあった。

  ヨコオ レバ刺しこんにゃく 170g×36個

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2014/04/20

豚丼を出す喫茶店だってある世の中なのに…♪DSch/ミケ……

Shostakovichmichelangelo  木曜日、2か月前に支社の近くにオープンした店で昼食を食べた。

 ヤマダ課長と阿古屋係長と3人で、「さて、今日はどこに行こうか?」と当てもなく外へ出たのだが、はっきり言って本当に当てがなかった。
 係長が「長寿庵かざくろはどうですか?」と提案したが、長寿庵は魅力的なもののこの日の天狗がウチワを扇いだような強風では到着が大幅に遅れる恐れがあった。

で、すごく前向きな気持ちではないものの“ざくろ”に向かい始めたのだが、そうだそこに店があるではないか!と行き先を変更したのだった。

 なぜ最初から目指さなかったのかというと、ヤマダ課長がオープン直後にそこに一度行っており、メニューが実に充実していなかったという苦い経験をしていたからだ。係長も行ったことがあるそうだが、そのときの印象がまったく残っていないようであった。

 が、「そこは未体験なの」という私に配慮してくれて、“ざくろ”ではなく、その店“ジェロ”(偽名)に決めた。

 “ざくろ”というのは居酒屋だが、ランチもやっている。なぜか夜利用したことはない。
 昼は、空気の缶詰のようにいつもすいている。
 昼のメニューは1種類しかない。そのものずばり“日替わり定食”だけ。しかも内容は一切開示されていない。出てくるまで秘密のベールに隠されている。

 「1つ」(1人の場合)とか「4つ」(4人の場合)とおばちゃんに言う。あとはどんなものが運ばれてくるかドキドキしながら待つしかない。大嫌いなおかずかもしれないし、そうでないかもしれない。が、大好物が出てくる予感がまったくしないのが不思議だ。

 数週間前に行ったときは、焼いた鮭の切り身にあんがかかったものだった。他にはホウレンソウのおひたし、大根の煮物など、畜肉は一切なし。
 私にとっては不満だったが、健康的なメニューであることは確か。
 寺に修行に来た気分でよく噛んで味わった。

 あのとき私は、なぜ“ざくろ”の母さんがその日のメニューをオープンにしていないのかのヒントを得た。あとから来店した3人組の客。彼らに日替わりが運ばれてきたとき、私が目撃したもの。それは、魚が私たちと同じ鮭ではなく、白身魚を焼いたものだったからだ。
 つまり前夜の食材の在庫一掃セールってわけね。

 さて、“ジェロ”に入る。
 客は1組(2人)のみ。
 
 「お好きなところにどうぞ」と女性店員(店員はその人1人。察するに店の奥さんだろう)に言われ、とはいっても3人バラバラでお好みの場所に座るのも変なので、4人掛けテーブルにまとまって座る。

 メニューを見る。
 パスタ3種類に牛すじカレーしかFOODはない。しかもいずれもなかなか上質なお値段。

 私は「ランチメニューはここにあるだけですか?」と一応問う?もしかすると日替わりランチなるものがあるかもしれないからだ。

 「えぇ、ウチはカフェですので」
 微笑みながらその店員が答えるが、目には「何か不満かい?」という威圧感があった。
 団扇加平?店主の名が?
 なんて、おちゃらける雰囲気は皆無だった。

 3人とも牛すじカレーにした。
 というか、育ち盛りの男の子にとって、これ以外の選択肢はなかった。

 味はまあまあだったが、コストパフォーマンスはよろしくない。インデアンカレーだったら2皿食べてもお釣りがくる。
 価格的に、そしてカフェと主張している点から、コーヒーもセットになっているんじゃないかと前向きに考えたが、その考えは無駄に終わった。

 店を出たあと、私たちは満たされない気持ちで社に戻った。
 特に私は、「あんたたちの来るようなとこじゃないのよ」という意味が込められているような、「ウチはカフェですので」という言葉に憤りを感じていた。しつこくも……

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「ミケランジェロの詩による組曲(Suite on Verses by Michelangelo Buonarrotti)」Op.145a(1975)。バス独唱とオーケストラのための作品だが、前年の1974年に書かれたバス独唱とピアノのための同名作品Op.145の編曲版である。

 ミケランジェロは、ご存知のとおりルネサンス期の彫刻家だが、数多くの詩も残している。
 ショスタコーヴィチが用いたテキストは、A.エフロスがロシア語に訳したものである。

 次の11曲からなる。

  1. 真理
  2. 朝
  3. 愛
  4. 別れ
  5. 憤り
  6. ダンテ
  7. 放逐(追放)された者
  8. 創造
  9. 夜(対話)
 10. 死
 11. 不滅(不死)

 ショスタコ―ヴィチらしい暗さ、怖さ、もの悲しさ、屈折感といった気分に満ちた作品。そしてオーケストラはしばしばハッとするような美しさを放つ。
 最晩年の作ながらさほどポピュラーではないが、ショスタコのすべてが凝縮している。

 コチェルガのバス独唱、ユロフスキ指揮ケルンWDR交響楽団の演奏を。
 1996録音。ブリリアント・クラシックス(原盤カプリッチォ)

  Shostakovich: Michelangelo Suite, Pushkin Romances, Japanese Romances

 この日の夜。
 本社から2名の方が出張で来ていたので、夜をお供した。
 痔の手術の話やミセスロイドの話に花が咲いた(←さっぱり事情がわからないだろうが、今後それがネックになる危険性はまったくない。わからないままにしておいてよい)。

 場所は“夢想”(仮名)という居酒屋。料理も美味しく満足したが、トイレが男女共用で、しかも1つしかないのがネック。だって、一度行き出したら何度も行きたくなるうえ、すぐに切羽詰まるほどの状態になる私だから……

 ジェロ……もう行かない。

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2014/04/19

少年よ本能のままに叫べ!ヒコックスのブリテン/春の交響曲

Brittensshickox  あれは4月の初旬のことだった。

 私はカスタムパルコの地下にあったレストラン・ニュー銀座で、カッちゃんと昼ご飯を食べていた。

 平日の昼なのに、なぜ私は自宅近くにいたのか?

 その春、つまり約1ヵ月前に、私たちは高校を卒業した。
 カッちゃんは同じ高校の同級生で、数少ない就職組だった。セールスの仕事をしていて、浪人生活に突入せざるを得なくなった私を激励に、外回りのついでに会いに来てくれたのだった。

 まだ初月給が出る前だったのに、カッちゃんは“ポークステーキ・ニュー銀座風”をごちそうしてくれた。

 カスタムパルコのオープン時から“ニュー銀座”はあった。このあたりで本格的な洋食を食べさせてくれる、唯一といってよい店だった。
 ニュー銀座風というステーキは、いわゆるポーク・ジンジャーだったが、私の好物だった。

 ニュー銀座はその後、カスタムパルコの衰退により移転。店名も替えたが、その後さらに移転、改名している。
 新しい店にも何度か行ったが、私にとっては、あのころのメニューが懐かしい。
 店の雰囲気も高級感があって好きだったが、あのままの造りだったら今やレトロで田舎臭いだけかもしれない。

 ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「春の交響曲(Spring symphony)」Op.44(1949)を聴くと、このときの記憶がよみがえる。

 この曲を初めて知ったのがそのころだったためだが、なぜピンポイント的に友人とレストランで食事をしたことを思い出すのか不思議である。

 そして、受験失敗というタイミングだったのに、この曲に負の印象はない。いや、実は、「春の交響曲」はブリテンの作品の中で私が最も好んでいる曲なのである。

 あぁ、春ぅ~!(←単なる雄叫びです)
 
 これまでブリテン自身が指揮したもの、プレヴィン盤ガーディナー盤を取り上げてきたが、今日はヒコックス/ロンドン交響楽団、同合唱団、サウスエンド少年合唱団、ゲイル(ソプラノ)、ホッジソン(アルト)、ヒル(テノール)の演奏を。

 この演奏、上に上げたほかの3つの演奏に比べるとわずかに洗練度が落ちる。
 が、それが“人間の叫び!的”で、実に表情が豊かだ。明るい曲調だけでなく、皮肉っぽかったり、しんみりしたりといろいろな面があるこの作品を、ヒコックスはとても生き生きと描く。

 独唱の3人はいずれも伸びやかな歌声。
 少年合唱は、ときに素の声でがなる。練習不足?いや、録音にあたってそれはないはず。わざとウマヘタ歌唱しているのだろう。生々しさが快感。

 聴きごたえのある見事な演奏だ。

  Britten: Spring Symphony, Welcome Ode, Psalm 150

 この曲、生で聴いてみたいなぁ。

 生のレバーは食べちゃいけないんだよなぁ~。

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 ※ レバーの悲劇については後日。クリック↑↓は五回。

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2014/04/18

あの子たちは私の顔と足元、どちらを見ていたのか?♪Biber/Requiem

Biberrequiem  JR北海道の車内誌、その名もそのまんま“The JR Hokkaido”。

 ここに連載されている小檜山博のエッセイ“人生讃歌”のい4月号は「犬を飼う(下)」。

 内容を要約すると、

 長年にわたり飼っていた愛犬が老衰で死んだ。ぼくは泣いた。

 ってものだ。

 私も小学校6年生のときに犬を飼いはじめた。
 迷い犬と思われる子犬を飼うことにしたのだ。

 雑種だが、舌にはアイヌ犬特有の黒い斑点があった。

 飼い始めてすぐのころ、狂犬病の予防接種を打ちに行った。場所は近くの中学校のグラウンド横の空き地。その後北浜内科が建った場所だ。すでに“家具の山の手”はあった。ローカルな話題ですまん。

 お注射しにそこに行くと、空き地のはじのほうで、女子中学生らしき2人がこちらをちらっと見てはひそひそと立ち話している。問題は2人ともなかなかかわいかったことだ。

 この犬は迷いこんで来た犬だ。それを捨て犬と勝手に判断してウチで飼うことにしたのだが、もしかするとどこかで飼われていた犬だったのかもしれない。

 そして、「あれって、ウチで飼っていた子じゃない?」って話してるのではないか?
 
P4100031  そう思うと私は、あの子たちが騒ぎたてる前に、予防注射を打って欲しい衝動にかられた。あの子たちに。子犬盗難罪で逮捕されるのはいやだ。

 もし何か言って来たら、「お、お姉さん!ボクと文通してください」と口にしたい衝動を抑え、ここは毅然と「この犬は私の母が産んだのです」と言い通そう。
 そう心に決めた。

 が、彼女たちは何も言って来なかった。
 私なりにそのあと考えた。
 あれは犬を見ていたのではないという結論に達した。

 「ねぇ、あの子犬を連れている男の子、なかなかイカスと思わない?」

 そういう話をひそひそしていたのだ。きっと。
 それ以外考えられない。
 でも、そのあと何年待っても、「私と文通してください」とあの子(どっちか1人でいいのに)からのペンパル申込み書は届かなかった。あのとき私を尾行してくれれば、家がわかっただろうに……

 さて、この犬はなかなか従順でそこそこ間抜けなところがあってかわいかった。
 いくら洗ってあげても毛に艶はなく、ややゴワゴワしていた。
 キューティクル・シャンプーを使ってあげても変わらなかった。

 私の多感な時期を共にしたわけだが、一緒に過ごしたのは7年ほど。
 フィラリア症でもう治らないと言われた。だから、安楽死させた。

 ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber 1644-1704 ボヘミア)のレクイエム(Requiem)イ長調(ドックという名の作曲がいないのが、ここにきて残念に思う)。

 2人のソプラノ、アルト、テノール、2人のバスという6人の独唱と、合唱およびオーケストラによる15声のための作品。イントロイトゥス/キリエ/セクエンツィア/オッフェルトリウム/サンクトゥス/アニュス・デイ/コンムニオの全7楽章からなる。

 ヴァイオリン・ソナタで有名なビーバーは、2つのレクイエムを残している。1つはここで取り上げているイ長調のもの。もう1曲はへ短調のものである。

 レクイエム イ長調の作曲年ははっきりとわかっていない。
 しかし、ビーバーが仕えた大司教マクシミリアン・ガンドルフ(グンドルフ)の葬儀のために1687年に書かれたという説がある。 

 素朴な、でもけっこう元気な響きの音楽である。
 そのあとの時代の多くのドラマティックなレクイエムを知っている私たちにとっては、この純粋な響きに癒される。哀悼の意を込めてというよりも、曲調は大司教さまの生前の栄誉を讃えてって感じだ。

 何年の何月号だったか覚えていないが、“レコード芸術”誌の特集記事の中で、美山良夫氏は書いている。

 ビーバーが活躍していた時代のザルツブルク大聖堂の祝祭的な演奏空間、つまり聖堂の中心の丸天井をささえる4つの柱には、それぞれにオルガンつきの階廊がおかれ、また本来の聖歌隊席にもオルガンが設置されていた。大司教には80人もの音楽家が仕えており、そのような資源を活かした作品のひとつがこの15声の作品である。
 作品がどのような機会に書かれたのかは詳らかではない。大司教マクシミリアン・グンドルフの葬儀(1687年)という説もあるが、それにしてもイ長調という調性の選択、トランペットやティンパニが活躍し、技巧と色彩感の豊かな作品は、レクイエムの名を借りつつ大聖堂の音楽家のすばらしさを誇示する場であったのだろう。 


 コープマン/アムステルダム・バロック管弦楽団、同合唱団による演奏を。
 独唱は各声部とも2人の名が記載されている。
 ソプラノ~ボンヘルス,グリム
 アルト~ヴェッセル,ド・グロート
 テノール~レヤンス,デイヴィス
 バス~ストイア,ド・コーニング

 1992録音。エラート。
 これまた輝かしい、32声のための「晩歌(Vesperae)」がカップリング収録されている。

  ビーバー:レクイエム、晩課

 ビーバー・エアコンって今でもあるのかなぁ?

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2014/04/17

えっ、もう終わっちゃったの?♪クレンペラーのブルックナー/Sym8

20140415stokachi  さて、歯科医院に行った報告である。

 おととい、出張先の札幌からご覧の特急に乗った。乗る前にキヨスクでサザエのおにぎり弁当を買う。12時まで待ちきれず、新夕張で開封してしまった。そして、昼過ぎに帯広に到着。

 歯が脱落して半月。
 待ちに待ったというわけではなく、行かざるを得ない状況で、予約を入れていたこの地の歯科医院に行った。この間私が経験した焦燥感、孤独感、疎外感はすでに書いてきたとおりだ。

 その話の前に、南千歳と追分の間の沿線でこんな看板を見たが(いや、前からチェックしていたのだ)、まわりは草原、畑、見通しの良い雑木林。
 ほとんど人通りはないと思われるが、それなのにここ(隠れる場所もなさそうだ)で人を待ち構えるやつがいるらしい。変な奴だ。変な奴だから不審者、ひいては変態というのだが……
 
20140415fushinsya_2  あの話に戻る。
 私はこの20年間ほど、これまで通っていた札幌市中央区の歯科医院以外にかかったことがなかった。良く言えばなんと義理堅い、普通に言えばかなり保守的な、悪く言えば勇気のない人間だろう(先月末の釧路のケースは急患ゆえの例外中の例外である)。

 そんなわけで、私は素っ裸でいるクレンペラーの部屋を訪問するはめになった乙女のように緊張して、歯科医院のドアを開けた。緊張のあまり引くべきところを押してしまった。が、自動ドアだと勝手に思い込んで、そこにずっと立ち続けるよりはまだマシだっただろう。

 とにかく冠入り義歯(たぶんクラウンと呼ばれるものだと思う)が脱落したとき、私が鏡で見たその落石現場の跡は、まるで歯ぐきにごく小型のヒザラガイが3つ並んで貼りついているような感じだった。いのではなく、もう高さがないのだ。海抜0mまで平らに削ってあったのだ。
 そのヒザラガイ様の歯根がまだ使えるかどうかはかなり怪しい。様相がそれを物語っていた。釧路の歯科医師はそのように語ってはくれなかったが「けっこうきついかな」と言っていた。

 私が心を震撼させながら新患としてお世話になることになったここの歯科医師の見立て。

 ① レントゲンの結果では、はずれた冠の土台となっている歯の根には異常は見られないようだ。
 ② だが、応急処置をした歯科医の話を聞く分には、土台の歯がむし歯になりかけている可能性もある。
 ③ 応急処置で仮付けだったのか、がっちりとセメントで接着したのがわからないが、その後いまだにはずれてこないところをみると、がっちり型の可能性が高い。だとするとはずすのもけっこうな破壊行為となる。
 ④ それゆえ、まずは歯石をとって周辺の治安を維持してから本格的な治療に入る。それでいかがでしょうか?

というものだった。

 合意しました。「よろこんでぇ~!」と。

 で、今回はほかに口内の写真を数枚撮られ、上あご側の歯の歯石クリーニングをし、次回は早くも明日、また口を開けに行く。
 1週間に2回も診てもらえるなんて、そして通える自分がここにいるなんて、まるでウソのようだ。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87/改訂1889-90)。

 今日は名演と言われると同時に悪名も高いクレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽Brucknerklempere 団の演奏。

 使用楽譜は1890年稿ノヴァーク第2版。
 この版を使用した演奏では、ショルティ/ウィーン・フィルによるものを私は昔からよく聴いているが、その流れ(慣れ)でクレンペラー盤を聴くと、第4楽章で自分がテレポーションした錯覚に陥る。

 クレンペラーはゆったりとしたテンポで音楽を進めて行く。が、間延びしたところはなったくない。遅さが長ったらしさにならならい。チェリビダッケの、すごいとは思うがそこまで遅くする必要があるの?という勝手な疑問も、クレンペラーでは生じない。
 がっちりとした骨組みがあり、壮大だなんて安易に言えないほど大きな大きな演奏。大地震に耐えうる強度の高い建造物のような外観。いくつ部屋があるのかわからないほどの奥深さ。心に浸み入る美しさ。重厚なのに鈍くない。

 そして第4楽章。
 この第4楽章では、聴くたびに新鮮に意表を突かれる。ここはからくり屋敷か?
 CDのピックアップが跳んだのか?はたまた数分間私は意識を失ったのか?と私はとまどう。
 ご存知の方も多いだろうが、この録音でクレンペラーは第4楽章で大胆なカットを施しているのである。それも1回ではない(第1~3楽章でも細かな手が加えられているのかもしれないが、私が違和感を覚えることはない。つまり気づかない)。そしてカットされているわけだから、第4楽章はすぐに終わってしまう。

 これが多くの人を戸惑わせてきた。「ここまですばらしかったのに、なんで最後の楽章でこんなことしてくれたの?」と。
 長い長いうっとりするような前戯。そのあとは「えぇっ?終わっちゃったの?もう?」と言われる速打ち君……

 クレンペラーはいろいろと考察した結果このようなカットに行きついたと語っているらしいが、その真偽のほどはよくわからない。本人談なんだから間違いないんだろうけど、一部には当時のLPに収めるためにそうしたのではないかという憶測もある。 
 なお、この録音についてはライムンドさんが詳しく書いている。

 第4楽章で大胆なカットがあるにも関わらず、CD1枚には収まっていない。遅いから。
 あなたはしつこい人は嫌いだろうけど、でも繰り返して言うが、長さを感じさせない。
 この作品で、聴き手にこれだけの集中力を起こさせるとは、やっぱりクレンペラーってただ者ではない。実際、私生活では不審者じゃなかったものの、別な意味ではただ者ではない変態チックおじさんだったようだし。

 改悪版だと非難する人を否定はしないし、このカットが作品に対する冒瀆であるという言い分もわかる。が、だからと言って聴かないでいるのはあまりにもったいない名演である。

 1970録音。ワーナー(EMI)。
 
  Bruckner: Symphony No.4-No.9<限定盤>

 なぜ歯医者の話にブル8なのか?
 歯、短……ハ短調ってことなのは、自明の理である。

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2014/04/16

サカリを耳にしながらサガリを口にする♪愛の喜び(p版)

Rachmaninovbolet  先週の金曜日、オーダレッドが出張でやって来た。

 すでに書いたように、こちらで仕事があり、私もそれに一枚かんでいるのである。
 さらに今回は、オーダレッドに加え、助っ人1人もやって来た。

 3人と私が先方で打ち合わせを終え、市内に戻ったときには19時を過ぎていた。腹ペコだった。胃の肉が自己消化されつつあった。
 ゆえに、失われたたんぱくを補うべく私たちは焼肉屋に行った。

 席に案内されると、すぐ横の窓の外から赤ん坊の泣き声が聞こえる。この焼肉店、古いという意味では由緒ある建物だ。水子の霊たちが騒いでいるのだろうか?「おいらもカルビ食べたいよぉ~」って。
 「なんか子供の声っていうか、泣き声が聞こえない?」と私。
 「いいえ、別に……」とアルフレッド。
 窓の前には大きなこけしが置いてあり、私は最初、てっきりこのこけしが泣いているのかと思った。それなら何となく合点がい……かない、いかない、全然いかない!
 私にしか聞こえてないのだろうか?
 と、オーダマンボが妙に真剣な顔で「確かに、何か聞こえますね……」と言った。
 もしこのとき急に停電になったら、私はアメリカのオカルト映画の女優のようにギャア~キャア~、ボブ、ヘルプ・ミィぃ~と絶叫したに違いない。

 注文を取りに来たお姉さんに、「なんか変な声してんだけど……」とたずねる。
 「あっ、猫です。盛ってるんです。交尾です。で、生4つですね?」と、なんの躊躇、羞恥もなく業務に専念しながら答えた。

 よかったぁ~、猫で。
 ってこともないが、とにかく騒がしかった。
 ジュージューという焼肉を焼く音が、しばしばウギャー、ギャァァァーオー、ウッフゥゥ~ン、アッハァァァ~ン、アッウウウッ!という叫び声にかき消されたのであった。

 にしても、あの声は求愛の声なのか、交尾で絶頂を迎えている声なのか、私にはわからない。
 でも、たいしたものだ。
 あれだけ恥も外聞もなく没頭できるのだから。

 私たちは、なぜ豚バラ肉は昔に比べこんなに高くなったのか?そうだ、豚トロと名づけたやつのせいだ。とか、鯨を食べるのは日本の食文化って言ってるけど、家で鯨を食べた記憶なんてもう消失してる、といった話をしながらサガリやロースやジンギスカンを焼き、カルビは体に悪そうだからと回避し、そのかわりにウインナーを頼み、盛りのついた猫の恋の叫びもだんだん気にならなくなったのだった。

 帰り際にあのあ姉さんが言った。まるで自分に責任があるかのように。「交尾の声でうるさくてすいません」。たいした姉ちゃんだ。いろんな意味で。もしかすると焼肉屋でバイト中の獣医師志望のリケジョだったのかもしれない。

 クライスラー(Fritz Kreisler 1875-1962 オーストリア→フランス→アメリカ)の「愛の喜び(Liebesfreud)」。ウィーンの古い民謡によるワルツ形式のヴァイオリン曲で、非常に有名である。

Rampaljapanese が、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)がピアノ独奏用に編曲したものは、原曲に比べるとかなり激しい。あの猫さんほどじゃないが、変な喜びを想像しちゃう。

 ボレットの演奏で。
 1987録音。デッカ。

 このCDに収められているピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18(1900頃-01)についても触れておく。デュトワの指揮、モントリオール交響楽団との共演である。

 デュトワのテンポの取り方がヘンだという声もあるようだが、私はそのことに違和感はない。それより何よりボレットの甘くなりすぎず、かといってテクニックを誇示するものでもないバランスの良い、そして瑞々しささえ感じる演奏が、私は実にすばらしいと思っている。
 こちらも1987録音。

  Rachmaninov: Piano Concertos No.2, No.3, Variations on a Theme of Chopin Op.22, etc

 ところで日本民謡(古謡)に「猫の嫁入り」ってのがある。
Samurachuushi ランパルがフルートで演奏しているCDを持っているが、私にはなじみのない曲だった。日本人としてなってない私である。
 1981録音。ソニークラシカル。

  日本の調べ

 このあいだの日曜日の夜。“Mr.サンデー スクープSP”って番組をやっていて、佐村河内氏のことが長時間にわたり取り上げられていた。
 今日16日は、札幌コンサートホールKitaraで氏の作品のコンサートが行なわれる予定だった。
 Kitara NEWSには“公演中止”の文字が痛々しい。
 いやぁ、楽しみにしていた人もいたんだろうな。

 いずれにしろ、あの絶叫していた猫ははらむのだろう。
 で、サガリというのは本州で言うハラミとほぼ同じと思ってよい。

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2014/04/15

ざらついた肌が痛々しい…♪DSch/ステパン・ラージンの処刑

20140412shinme  庭の雪もかなりなくなったので、一部のバラの冬囲いを日曜日にはずした。
 恐れていた現象が起こっていた。2つ。

 1つは雪の重さで枝が、それも根元近くから折れていたということ。
 もう1つは、やはりノネズミに食われていたことである。

 2つというのは被害の現象であり、数ではない。
 すべての冬囲いをはずしたとき、自分が悔しさのあまりひざまずいてしまう姿が目に見えるようだ。

 それでも、赤い新芽を目にすると、心が赤い新芽を見たときのようにうれしくなる。

20140412higai  にしても、ノネズミの被害をどのように防げばいいのだろう?
 積雪前に庭の何か所かに置いておいた紙袋入りの殺鼠(さっそ)剤は、まったく無傷で残っていた。
 殺鼠剤よりもバラの樹皮の方が美味しいということだ。私も試してみたくなる。

 撒き餌(実は毒入り)に見向きもしないとなると、この際、猫を飼うしかないのか?

 でも、そのためには外で飼わなきゃ意味がない。
 猫が私になつくとは思えないし、私も猫になつけるような気がしない。姑との同居に耐えるがごとく、猫と同居したとしても、こいつがネズミを追いかけてくれるという保証はない。私の方がネズミ捕りを命ぜられるかもしれない。ミヤゥッ!って。
 そもそも私は犬の方がはるかに好きだ。こんな私にも媚をうってくれるドッグが好きだ。あんたなんて私より劣っているのよみたいな目で私を見る猫は苦手なのである。

 どうしたらよいか、難しい問題だ。
 ただ、私は雪の中、あんなに寒いにも関わらず、そしてクマさんなんか冬眠中でおとなしくしている期間なのに、アクティヴにピョコピョコと庭を横切っていたモジャ公の姿を思い出し、何らかの罰を与え、処刑しなければならないと心の底から思っている。
 処刑といっても残酷なことは私にはできない。せいぜい、頼むからどっかに行ってくれと説得工作を試みるしかない。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のバラード「ステパン・ラージンの処刑(The Execution of Stepan Razin)」Op.119(1964)。

Shostakovichzoyaash  この作品については過去記事をご覧いただきたいが、ムソルグスキーの影響を受けているとされる。そのためかどうかはわからないが、未開民族の宗教儀式で唱えられる、人間の奥底に潜む野蛮なエネルギーが吐き出されるような音楽である。処刑が題材なので、緊張感と恐怖が全編に横たわっているが、曲の閉じ方がやや中途半端な印象である。

 今日はアシュケナージ指揮ヘルシンキ・フィル、ラトヴィア国立合唱団、シェンヤン(バス)の演奏を。
 2013録音。ONDINE。

  Shostakovich: The Execution of Stephan Razin, Zoya Suite, Suite on Finnish Themes

 このCD、「ステパン・ラージンの処刑」の次には「ゾーヤ(Zoya)」の組曲が収められているが、その平和的な始まりとのギャップが大きい。海苔わさびおかきを食べたあとに森永マミーを飲んだような感じである。ご理解してもらえないかもしれないが……

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